鹿児島県の三大祭と言えば、鹿児島市のおはら祭り(11月3日)と志布志市のお釈迦祭り(4月29日)、そして曽於市の弥五郎どん祭り(11月3日)です。
弥五郎どん祭りは、身長が5メートル近くもある人形が市中をねり歩くという珍しいお祭り。
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地元では「弥五郎どん」と呼ばれ親しまれているこの巨人の正体については諸説あります。
弥五郎どんの正体は?
弥五郎どん祭りには900年の歴史があるとも言われます。では、祭りの主役である弥五郎どんとはいったいだれなのでしょう?
いろいろな説がありますが、日本武尊の熊襲征伐の際の熊襲の首領・熊襲建(くまそたける)であったとか、大和朝廷に抵抗した隼人族の首領であった、あるいは、真逆の立場である朝廷側の大臣・武内宿禰(たけしうちのすくね/たけうちのすくね/たけのうちのすくね)だったという説など、その正体は歴史の闇に包まれたままです。
なお、弥五郎どん祭りが開催される岩川八幡神社の御祭神には、応神天皇、神功皇后、玉依姫命、仲哀天皇、天照大神、伊邪那岐命、保食神と並んで武内宿禰の名前も見られます。
弥五郎どん祭りとは
弥五郎どんがだれかも分からないのに、毎年盛大に催されている弥五郎どん祭り。いったい何のためのお祭りなのかという疑問がわいてきます。
弥五郎どん祭りには900年の伝統があるという説については前述しましたが、弥五郎どん祭りの始まりは1300年ほど前だという説もあります。これは、飛鳥時代に大和朝廷の圧政に苦しんだ隼人族が反乱を起こしたという史実に基づくものです。数回にわたる反乱のうち、720年の反乱は特に大きいものでした。大隅国司の陽侯麻呂(やこのまろ)の締め付けに耐えかねた隼人族が陽侯麻呂を殺害、その報を受けた大和朝廷は大軍を送り込み、抵抗を続ける隼人族との戦いは1年間にも及んだそうです。
その時の首領が弥五郎どんだったという説もあり、その戦いで亡くなった夥しい数の隼人族の慰霊のための放生会が、弥五郎どん祭りの始まりだというものです。そうすると、戦いから1300年近く経った今日に至いるまで、隼人族の鎮魂の祭りを執り行っているということになります。
余談になりますが、その戦いで殺害された大隅国司の陽侯麻呂は鹿屋で殺害されたという説があり、“その一帯を管理していた永田家は千年以上にわたって旧暦1月14日夜になると「国司どんのお通夜」と呼ばれる祭りを国司塚跡でっそりと執り行っている”との記述がウィキペディアにあります。古代人の鎮魂には膨大な時間を要するものなのでしょうか。
弥五郎どんの風貌
さて、お祭りの弥五郎どんの風貌はどうかというと、身長は4メートル85センチ(1丈6尺)と巨大です。
また、梅染と呼ばれる茶色の単衣を着ています。この衣装は、4年に一度、閏年に新調するそうです。その際は、地元の女性約20人で10日ぐらいかかるそう。梅には霊力と再生力が宿るとされています。また、梅染という点にも意味があるのでしょう。
さらに、腰に差す刀は、4.24メートル(1丈4尺)の大刀と、2.85メートル(9尺4寸)の小刀、手には3.81メートル(1丈3尺)の鉾をもっていることから、弥五郎どんが戦いに関与した名残だと思われます。
「弥五郎どんの頭に飾られているのは鳳凰だ」と地元の弥五郎どんに詳しい方に聞きました。鳳凰は、世が平和になるという吉報をもたらす鳥で、平和や幸せのシンボルとされています。
弥五郎どん祭り
さて、鹿児島県の三大祭の一つである弥五郎どん祭り。子どものころは、大きな弥五郎どんを見に行くお祭りだと思っていたのですが、実は午前1時から始まり、神社内での弥五郎どん作りも大切な過程の一つ。そのひとつひとつの意味を知るとさらにお祭りが面白くなります。
1.「弥五郎どんが起きっど~」
午前1時、肩に担いだ太鼓を打ち鳴らしながら「弥五郎どんが起きっど~」と触れ回る一団が岩川八幡神社を出発し、町なかを触れ回ります。弥五郎どんが今夜起きることを告げ知らせ、祭りはスタートします。
2.弥五郎どん作り
午前2時、ふれ太鼓に続き、弥五郎どんを組み立てる前に神事が執り行われます。そしていよいよ弥五郎どんの組み立て。弥五郎どんの胴体は竹を編んだものだったんですね。
3.弥五郎どんの再生
なかで組み立てられた巨大な弥五郎どんを拝殿の狭い出入り口から出す作業は困難を極めます。拝殿の外には鳥居も立っていて、男衆が何人もかかって四苦八苦しながら外に出すのですが、この様子は産道を通る赤ん坊の様子にも似ていることからか弥五郎どんの再生を表すそうです。こうして、一年に一回、弥五郎どんを再生させることにより、人々は五穀豊穣と無病息災を願ってきたそうです。
4.弥五郎どん起こし
午前4時。神社の境内に多くの人が集まってきます。これから弥五郎どんを立ちあがらせる「弥五郎どん起こし」が始まるのです。弥五郎どんを起こす際は、弥五郎どんの組み立てをした男衆が後ろから棒で押し、境内に集った老若男女が前からロープを引きます。これに参加すると「身体が強壮になり、運気ますますめでたくなる」と言われています
こうして起こされた弥五郎どんは、浜下りまでのひとときを境内で訪れる人々を眺めて過ごします。
5.大隅弥五郎太鼓奉納
午前9時。すっかり陽がのぼり、明るくなった境内にバラエティに富んだ曲が披露され、
太鼓や鉦の音が響き渡ります。すべての曲が弥五郎どん祭りをイメージしたオリジナル曲だそうです。
6.巫女舞
大隅弥五郎太鼓の奉納に続き披露される巫女舞。地元の小・中・高校生が祭祀舞を御神前に奉納します。美しい花冠や千早(ちはや)、緋袴といった姿で舞われる巫女舞はお祭りの呼び物のひとつです。
神事は、巫女舞に続き10時から執り行われます。
境内ではさらに、大隅弥五郎太鼓演奏や薬丸示現流演武などが披露されます。
7.武道大会 / のど自慢・演芸ショー
境内での催しと並行して、岩川小学校校庭や運動公園弓道場では武道大会が開催されます。各地から集まった子どもから大人たちによる剣道、柔道、空手、相撲などの奉納武道大会です。
また、大隅文化会館では、9時30分からのど自慢大会がスタート。その後、各種ステージイベントが開催されます。
8.市中パレード
11時15分から開催される市中パレード。見物客でいっぱいの露店の並んだ通りをパレードの列が通り、お祭りムードが一段とたかまります。パレードには本家よりも小さい子弥五郎や孫弥五郎も登場します。
9.浜下り
いよいよ弥五郎どんが岩川八幡神社を出発し、市中を練り歩く浜下り。午後1時出発です。階段下の鳥居前にはその出発を見届けようと大勢の見物人が集まります。
弥五郎どんの肩には棒をもった男性が立ちます。男性の役割は、電線が弥五郎どんに当たらないように電線を避けることなのだとか。弥五郎どんのすぐ後ろには大傘をもった男性がつき従い、その後ろにお神輿の行列が続き、約5㎞の道のりを歩き、3時45分ごろ岩川八幡神社に帰ってきます。
今年の弥五郎どん祭りも11月3日(祝日)開催です。
古代に思いを馳せながら、活気あるお祭りに一時酔いしれてみませんか?
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